習慣化出来ないヒトたちへ
そもそも習慣を身につけようと考えていても、なかなか出来ません。いろいろなサイトでライフハック術として紹介されています。確かに、実践できれば習慣を身につけることは出来ます。ですが、習慣を身につけるにはその手前に大きな壁があるのです。(大げさ)
そんな大きな壁を乗り越えるヒントは仏教にありました。
残念なことに出来ない理由は3つあります
1.記憶力が無い
そもそも、記憶力が無いから思い出せない。
思いついたときや、目標を決めたときにこう成れたらいいなと思い描いていても、何から始めて良いか分からない。当たり前です。情報が無いから。それに到達までのルートを公開されていないから。さらに、目標自体も人それぞれに設定するので、どこまでやりたいかによってやる内容が変わってきます。
これは「雪山の寒苦鳥」という譬え話があります。
決意しても実行に移せないから、いつまで経っても同じ環境で苦しむ。
それは仕方のないことといえるのでしょうか。
例えば、日々の糧を得るために労役をして賃金を得る。得た賃金で多少の快楽を得てまた労役に戻る。奴隷と言われてしまう、よくある話ですね。
2.時間がない
時間が作れない。
未来に対しての期待が現状維持を上回れない。だから安易にこれまでと同じ方法で日常を過ごす。これじゃあいつかは訪れません。最近知ったことですが、仏教では時間の概念がそもそも大きく違っていて、すごく長い時間の喩えとして「一劫」という概念があります。カルパ(Kalpa)とも読みます。「劫波」とも。
ものすごいスケールの大きな話ですね。『雑阿含経』や『大智度論』などの経典を始めとして、様々な経典に登場する譬えです。ちなみに悟りに至るには「三劫」必要だそうです。芥子の実ってのはポピーシードとも呼ばれて、わかりやすい例としてはアンパンの上に乗ってるアレのことです。
んで、ここからが仏教の凄いとこで、「やってればいつか終わる」というのが前提だそうです。なので、正しいとか間違ってるとかは関係なしに「やってればいつか終わる」という発想になれば死ぬまでには終わるかもということです。
3.いいわけ上手
どうせ出来ないと考えている。
やらなくても何も変わらないと思い込んでいる。
これはよくあるネガティブ思考ですね。でも、先程述べたように、「やってればいつか終わる」です。
よく、上達には1万時間必要と言われている「1万時間の法則」があります。
本当かどうかは知りませんが、どうやら仏教的発想からすれば、いずれ上達する模様です。だって「一劫」ですから。発想の桁が違う。
それに、我々はいずれ死にます。誰の身にも等しく死は訪れます。これは決まっていることですが、死ぬからと言って何もしないという選択はちょっと残念な気がします。
だって、いずれ死ぬと分かっていて何もしないなら、今すぐ死を選択すれば苦しまなくて済むじゃないですか。
でも、死ぬという選択はしたくないし、苦しみたくないのであれば、達成すれば苦しまずに楽しい目標に向かってやり続けるという選択をしても良いのではないでしょうか。
だって、あなたがいいわけ上手になったのは「1万時間いいわけ」をし続けた結果ですから。
だからやりたくない
3つ原因から生じる気持ち
やりたくないという気持ちが芽生えるのは1番目の理由と3番目の理由が深く関係しています。「やりたくない」という発想は、「やりたい」という発想が無いと出てきません。よく言われる「好き」の反対は「嫌い」ではなく、「無関心」という理屈と一緒ですね。
分類すると、好きと嫌いは同一カテゴリです。
また、人間には恒常性があります。変化を嫌うんですね。ここでいう、習慣化というのは明らかに変化です。新しい何かを始めるという変化です。
別エントリでも語っていますが、変化に対して防衛機能を身体とココロは持っています。これが「常設機能」という発想が無いと、急激な変化に対してストレスを感じ、やりたくない!というココロの防衛機能が働きます。
そのため、ここからその対処のヒントを書いてみますが、ちょっと長文になってきたので、次回にしようと思います。
次回をお楽しみに。