記憶術というもの
以前にオレンジカードというタイトルで投稿していた件ですが、その後全く効果が出ていなかったため、ほとんどやっていませんでしたです。
しかし、時間経過と共に、どうしても記憶というものについて、「真剣(マジ)に取り組まなきゃ目的を遂げられない!」ということが判明したので、追加でいろいろ調べてみました。
調べた結果が、訪問された方の記憶術向上のためのヒントとなれば幸いです。
徐々にコンテンツを増やして行く予定ですが、滞ったらゴメンナサイ。
ひとまず、記憶するということは何ぞや?のあたりについて、ひとつの仮説を展開していきたいと考えております。
記憶するということ
まずはじめに、記憶という行為は何なのでしょう。
記憶力がいいということはどういうことでしょう。
大雑把に言ってしまうと、記憶力が皆無の場合はどうなるか。
記憶力がすごい場合は、どうなるのか。
この2つのパターンの考察から始めることにしましょう。
まず、どちらも経験したことがないので、「どちらも想像である。」という断り書きを最初にしておきます。
記憶の仕組み
記憶というのは、どうやら大脳皮質にあるニューロンと呼ばれる神経細胞が、お互いに手を取り合う構造をしており、この信号経路のパターンにより、様々な思考が想起されることで、過去に体験したイベント(出来事)を追体験出来る機能のようです。
可塑性があり、複数回経路を電気信号が通過することにより強化され、よりイベント(出来事)がはっきり思い出せるという特徴があるようです。
これは最近入手し、読了した池谷裕二先生の「記憶力を強くする」に書かれていました。
この辺の研究は脳科学と呼ばれる学問で広く知られています。
脳科学と記憶
ブームになり始めたのは1989年刊行の養老孟司先生の唯脳論が先駆けだった気がしています。
詳しく調べていないので明言や断言は出来ませんが、その後、2003年に刊行されたバカの壁の大ヒットにより、今ある脳科学ブームが巻き起こった気がします。(僕も記憶力がいい方ではないので、テレビで流行ってたり、街中の広告でなんとなく見知っている程度で申し訳ありません。)
その途中ですが、1996年あたりに七田眞さんの超右脳革命とかが刊行されていた気がします。
僕が実際に読んだのはハードカバーの唯脳論とバカの壁でした。
その当時は、なんとなく分かった気がしただけで、特に生活に役に立つという程でもなく、三島由紀夫についての批評が印象的でした。
これは後ほど文章化しようと考えていますが、中枢は末梢の奴隷と仰っている養老先生の研究成果からの結論に結びついていた気がします。
横道に逸れまくっていたらいつの間にか文字数がすごいことになってしまったので、次回以降に書くことにしてもいいすかね。
とりあえず、記憶力が無いということと、記憶力があるということの比較を考察してみます。