記憶力が無い状態が引き起こす様々な問題
記憶力が無いと一言で言っても全く想像が付かないですね。
記憶力が無い状態
記憶力が無い状態ってどんなことが起こるんでしょう。
前回からの引き続きですが、想像力が乏しいので問題が全て挙げられないのは置いておいて、実際問題としてどういう影響が出るか考察してみます。
そもそもなんなの?
そのため、記憶力が無いという言葉は「記憶する力が無い状態」ということになります。
その場合、日常生活を送る上で何を食べたとか、どこに行ったとか、今日何をすべきかといった自身の行動を決定付ける動機の部分に関わってきそうです。
この状態が継続すると、行動が陳腐化、刹那的になり、将来に向けて、常に一定の刺激に対して反応しているだけの人生になってしまいそうです。
別口でも書いていて、当たり前の話ですが。
この24時間を「記憶する力がない状態」で無為に過ごすと、決められた時間になったら起床し、食事を摂り、仕事に行き、帰りに飲み屋へ立ち寄り、ほろ酔い気分で帰宅し、風呂に浸かり、家族とちょっとの時間を過ごして床に就く。
あれ?おかしいぞ?
あれ?ちょっと待ってください。
これはどこぞの一般的なサラリーマン家庭じゃないですか。
だって、こんな生活を理想としているならば記憶する力なんて必要無いのですから。
ここで疑問を抱かない人は、別に記憶する力を欲さなくてもいい人だと思います。
問題なく生活し、問題なく人生を幸せに送れる可能性があり、人生に不安なんて全く無い人ですから。
僕は自身の生活に不安を抱いていて、考えたり調べたりすることで、多少なりともその不安を解消できないか?と進んだ結果、自分の人生を生きていない原因のひとつとして、記憶する力が衰えているということ気付かされた想いを書き連ね、ひとつの仮説を考察しているだけです。
自分の収入が高くなかったり、幸福では無いと感じたり、老後が心配とか、生活が心配とか、いろいろな不安はここから来ているんだと感じました。
結論
結論として、記憶力がない状態とは自分の今の姿であると。
だから、これは考察というより、観察から導き出されたごく普通の結果ですね。
いやいや。
これで完成としてしまうのは些か問題がありそう。
これって、自分の最後の姿まで見通せてしまったということではないでしょうか。
そんな人生で本当にいいのか?という自問をした結果の自答は、否ですよ。
こちらにご訪問頂いている方々も、そんなこと言われなくても分かっているという方や、なんかマズそうな雰囲気だぞという方もおられるかもしれません。
実際、自分はマジやべぇ状態です。
社会に出てから無為に十数年過ごしてしまいました。
挽回は可能なのでしょうか。
ですが、ここは自身が限りなくどこまで行けるか実験してみるというコンセプトで立ち上げてみたblogなので、駄文を連ねつつ何をすべきか?を一緒に探していける場所になるといいなぁと思いながら、今日のところはこの辺りで。
次回をお楽しみに。